ビーイングの歌謡魂

音楽を聴いている感覚は確かにある。このように聴け、ではなく、あなたたちの日常や生活感覚はこういうものなんじゃないですかという提言あるいは解読が歌になっている。ZARD聴いて頑張って資格取りましたっていう人が何万人もいる反面ZARD聴いて泣いている男なんてゲッという女がB'zをガッツリ聴きこんでいる。B'zの言葉は逆走しつづけたらいつのまにかそれが順走になってしまっていたという測面(側面)がある。それを上からの俺様目線でなく伝えられる音楽的レトリックは他に類を見ない。そこらのシンガーソングライターには絶対できない技巧で聴く者は丸め込まれる快感を身体的に知らされることになる。毎回がリゾートのような単なる日常とでもいうものに錯覚させる聴感上の贅沢を作りこんだり突き放したりして提供し続ける。商品としての強度はトヨタ車並だが、中味はマセラティかも、と思える瞬間多々あるわけで、今のところ”孤高の大衆文化”の絶妙の担い手。

(「STUDIO VOICE」2009年7月号p.50 湯浅学