SOMEWHERE


ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞という箔がない状態で観たらどう評価しただろう?と考えてみたけれど、どう言っても名作。映画表現の理想と現実について、僕が映画に対して抱く憧憬と嫌悪について、ソフィア・コッポラ監督ならではの視点で実に的確に描ききってくれている。すばらしい。
スーパーセレブの主人公ジョニーの生活は、非日常の繰り返し。有名ホテルに長期滞在、高級車を乗り回し、享楽に明け暮れ、時々メディアの取材に応じ、授賞式出席のため訪れたミラノでは大歓迎を受ける。そんな派手な暮らしに、分不相応に憧れの対象となっている本当の自分が埋没していく、けれどそれに抗う理由もなく、もはや刺激ではなく日常になった非日常を受け入れる。そして、ホントは深いはずのパーソナルな悩み苦しみも、目立たずひっそりと、薄いヴェールで覆い隠されてしまう。日常に覆い隠される悲しみを描く多くのアート系映画に対して、この作品の特異な点はまずここにある。
風景、画面の構図、効果音は、監督の秀でた感性によって最も美しいテイクが採用されている。そのおかげで、オーディエンスも主人公が感じている浮ついた感覚を共有することができている。陽射しがホントに美しい。
主人公が最後に手に入れようとする別の何かは、主人公の日常である非日常とたいして差はないかもしれない。ここではないどこかを求める事は、そんなに甘くはないけれど、泣いたり笑ったりすると人生は充実していく。その心の揺れ動きが愛おしい。